妥協した選択も案外悪くないということ

 

僕は現在20歳、とある農業関連の施設で研修を受けています。

実家はとある果物の生産量が1位であり、両親も兼業農家ですが農業に携わっています。

 

 

僕は教師になりたいと中学生から高校3年の秋まで思っていました。

教師になりたいと思い始めたのは、単純に部活動を教える立場になりたかったからです。

 

でも、諦めました。

 

諦めたというより、単純に頭が悪く、部活動の成績も平凡より少し上程度の自分が頑張らなければいけない時期に努力もしませんでした。

 

高3の夏、周りが推薦や就職試験の結果が届いてる中、学校から帰ると勉強するフリをしてゲームやり夕飯を食べ、寝る。

そんな生活でした。

 

秋に体育大学の公募推薦を受けました。

試験内容は小論文と学力テスト、部活動の実技でした。

自分的にはワンチャンがあれば受かる!!という手応えでした。

 

通知が届いたとき、親も「ああ、やっぱりな…」という反応で僕自身、涙の1滴すら出ませんでした。悔しいとも思わなかった。

 

そのとき、親から選択を与えられました。

 

農大へ行くこと。

 

農大へ行き卒業後は地元のJAへ就職するor家へ就農することを提案してきました。

 

反発しました。猛反発しましたよ。

 

学がなく、学を上げる努力すら自分は結果的に受け入れるしかありませんでした。

 

農大へは行きませんでしたが、桜が咲き始める頃に進学先を決め、現在そこへ通っています。

 

農業系ということもあり一学年の人数も少ないですが、そのぶん深い繋がりができています。

間違いなく20年後、30年後も関係は続くと直感で感じています。

 

18歳で親から選択肢を与えられ、それを選択し、何一つ後悔はありません。

 

幸いなことに、とある農業法人に就職が決まり、来春からはそこで働くことが決まっています。

気象で左右されることが多い農業と向き合えるかは不安であり、いつか独立(実家の農業を継ぐこと)するか、働き続けるかの選択があと10年もしくは15年後のうちに自分を待っています。

そのとき自分はどう考え、決断をするのか楽しみであります。

 

今はまだ考えられませんが、

高校3年の秋に捨てざるを得なかった、教師という夢に向かって

勉強し直し、大学へ学びに行く未来も選択次第で待っているかもしれません。

 

駄文ではありますが、お題を見て書いてみたいと思い、自分史としてここへ綴らせていただきました。